第7回 故郷を誇るのに、 理由なんていらない
昔から音楽が好きで、高校時代には高崎市街で開かれていた「高崎野外音楽フェスティバル(高崎野音)」に夢中になりました。高崎野音は高崎青年会議所が主催し、2005年まで開かれていた無料の音楽イベントです。当時の大人たちが汗をかいて、音楽を楽しむ機会を与えてくれました。私たちが大人になった時、その恩を今の若者へ送るべきだと思いました。
結果として6000人が参加し、フェスとしては大成功でした。何よりフェスを成功させるために、たくさんの人が協力してくれました。ボランティアや関係者など何らかの形で運営に関わってくれた人は1000人近くいたと思います。クラウドファンディングでも協賛を募り、200人以上が支援して350万円が集まりました。小さな力の積み重ねで「グンマー☆一揆」が開催できたこと、それが一番の成果だと感じています。
まずは会場探しに苦労しました。1年掛かりで探して、やっと県立観音山ファミリーパーク(高崎市寺尾町)を使わせて頂けることになりました。
実際、全く新規でこの規模のイベントを立ち上げるのは相当のパワーが必要でした。運営メンバーは、音楽関係者や群馬を盛り上げたい思いに賛同してくれた仲間で、この規模のイベント運営に関しては素人ばかり。実績がないので「どうせ失敗するだろう」という冷ややかな目もありました。
初開催なので音楽フェスとしての知名度がない、知名度がないから出演者が決まらない、出演者が決まらないから協賛も集まらない―。まさに負のループです。
協賛社が決まったり、著名なアーティストの参加が決まったり。一つずつ課題を越えていくことで、みんなを巻き込める空気が生まれていった気がします。
私は、一揆に加担した人が円状に名前を連ねる「傘連判状 ( からかされんぱんじょう )」が好きです。平等に責任を負う意思を示すことで、首謀者を隠す狙いもあったのでしょう。これからの時代は、大きな力を持つ人が引っ張るのではなく、小さな民が結束して取り組む姿勢が大切だと考えます。一揆は、その理想を実現できるスタイルであり、私も小さな民の一人としてこの一揆に臨みました。
私は2010年にUターンして高崎に戻ってきました。都内の大学に進学、在学中にシェアハウスの会社を起業して、東京で暮らしたのは10年くらいでしょうか。
今もそうですが、東京では「ローカルこそが最先端」という考えが当たり前です。でも群馬に戻ってくると、自分たちを田舎者だと感じて、東京に憧れとコンプレックスを抱く人がたくさんいた。
東京をまねた、二流の都会を目指すことには違和感があります。むしろ一流の田舎者として生きた方がかっこいい。
群馬県民は地元への愛をもっと誇りたいはず―。この「地元大好き感」を表現するために「グンマー☆一揆」というコンセプトが生まれました。
もちろん、私もそう思います。でも、今の群馬には愛はあるけれど、誇りがないと感じています。観光地や名産品、出身の著名人など、誇るべき理由に頼らないと「群馬が好き」と言えない感じ、というか。人を好きになるのに理由はないように、故郷が好きと誇るために理由はいりません。
群馬は住みやすいとか、食べ物がおいしいとか、「いいとこ自慢」をしても「もっといい場所があるよね」と常に比較されてしまいます。でも、地元が好きという気持ちは誰にも否定できない。押しつけではなく、すでに県民が持っている「地元大好き感」こそ、オンリーワンの群馬の魅力であり、地方創生の鍵になると考えています。
とにかく失敗を恐れずに動いてほしい。地方は人のつながりが濃いから、ネガティブな情報もすぐ共有される。「やっぱり失敗した」と言われたくなくて、傍観者のまま一歩を踏み出せずにいる人も多いと思います。大変だけど当事者は面白いよ、と伝えたいですね。
私は高崎市議会議員をしていますが、地方の生産年齢人口の減少に伴って税収が減り、行政や政治の力は今後弱くなっていくでしょう。自分たちの街は自分たちでつくるという当事者意識を持った若者がどれだけいるかが、街の未来を決める時代がやってくるのです。
政治家は、自分を出して生きるのが難しい仕事です。私自身はもともと、あまり社会に適合しないタイプだと思っているので、理想と現実のギャップに悩むこともあります。そんな自分が政治の世界で自分らしく挑戦することで、若い人が市政やまちづくりに関心を持ってくれればうれしいですね。