高崎・ 阿部さん一家 子育て支援で 恩返し 専業主夫 地域に溶け込む

児童館で撮影のボランティアをする阿部さん。 子育てを通じて知り合いの輪が広がった

都内の会社を辞め、4年前に高崎に移り住んだ阿部功(41)=高崎市倉賀野町。専業主夫となり生活は一変したが、子育てを通じて地域に溶け込んでいった。

倉賀野児童館に親子が集まってきた。毎月恒例、子どもたちの誕生日会が始まる。「てっちゃん、てっちゃん」。一眼レフカメラを構えた功が、3歳になる男の子に声を掛けた。「何歳ですか」。会話しながら、視線がこちらに向いたところでシャッターを切る。

誕生日会で、功はカメラ仲間と共に撮影のボランティアをしている。子どもたちを一人一人撮影し、その場でプリント。「おめでとう」。受け取る子どもたちを功も見守った。

サラリーマンから専業主夫へ、移住とともに生活環境は大きく変わった。看護師の妻、忍(44)が出勤すると、家には功と当時2歳の長男、遼太郎と同1歳の長女、和佳奈が残された。子どもの相手をしながら食事を作って食べさせる。自分が食べる時間はなくなり、どんどん体重が落ちた。「すごく孤独で、家にいるとおかしくなりそうだった」

とにかく外に出た。公民館、公園、子育て支援センター。「『頑張ってるね』と言ってもらうだけで、やる気が出たから」。倉賀野児童館もそんな場所の一つだった。

「てっちゃん」の母親、仲條由佳(40)は当時からの友人だ。「パパは珍しいと思って声を掛けた。専業主夫と聞いて驚いた」

初めは功を遠巻きに見ていた母親たちも、徐々になじんでいった。ランチに行けば、一緒の話題で盛り上がる。子どもの将来や習い事、食や趣味のこと。「今は“ママ友”の一員。いろんな分野で活躍していて教えてもらうことが多い」と話す。

倉賀野児童館の親子クラブでは会長を2年間務め、今もOBとして活動を支える。2015年には保育士資格を取得。市の子育て応援サイト「ちゃいたか」に記事を書き、昨年12月には主に小学生以上の子を持つ親の“学び場”を提供する「Manabuono(マナボーノ)」をママ友たちと立ち上げた。

「自分の受けた恩を返すという気持ちかな」。あの頃の自分と同じ悩みを持つ人の話を聞いてあげられたら、と思う。

「お父さーん」。遼太郎(6)と和佳奈(5)の呼ぶ声が響く。「最近は奇想天外ないたずらもなくなっちゃって、ちょっとさみしい」と2人の成長に目を細めた。

(敬称略)