ほどよく田舎、ほどよく便利。

下仁田町は群馬県の西南端に位置し、長野県と接する自然豊かな町。古来より、中山道の脇往還「下仁田道」の商品物流の要所として栄え、独自の文化を育んできた。近年では「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産として「国指定史跡荒船風穴」が世界文化遺産に登録された。特産の「下仁田ねぎ」「こんにゃく」は地域ブランドとして全国的な知名度がある。

下仁田町

原秀男町長に聞く 「下仁田ねぎ」は地域のプライド
町内産への“こだわり”と“品格”

定住・子育て支援施策
  • 定住促進住宅用地無償貸付・無償譲渡 町外から町に住宅用地を求める方に、住宅用地を10年間無償で貸し付け、その後、無償譲渡
  • ねぎとこんにゃく下仁田奨学金 金融機関から奨学ローンを借りて返済した場合に、在学中は利息相当額を、卒業後は下仁田に戻って居住している期間の元金と利息相当額を補助
  • 入学祝金 小学校、中学校に入学の児童・生徒1人につき5万円支給

―下仁田町の魅力はどんな点か。

自然が豊かなことはもちろんだが、上信越道IC、上信電鉄があり交通の利便性が高い。公立病院やスーパーマーケット、コンビニエンスストアもあり生活する上で不便なところがない。古くから長野県に抜ける交通の要衝として発展し、農業、林業、石灰の産出などの産業が栄え、市街地のにぎわいをつくった。その面影は今も残っている。

―上毛かるたで「ねぎとこんにゃく下仁田名産」と詠まれる下仁田ねぎ。間もなく収穫期を迎える下仁田ねぎについて教えてほしい。

約200年前の江戸時代の文献に登場する。その時代から評判となっていた。この地の地質や風土がねぎ作りに適していた。「下仁田ねぎ」の名で他地域でも栽培されているが、歴史、風土、農家の方々の苦労を考えれば、やはり当地の「下仁田ねぎ」には本物としての品格があると考える。町内の農家は「本物を守り伝統を受け継ごう」と、「下仁田葱の会」を組織し、品質・品種・規格などの統一を図っている。町が認定する緑色の箱に入った同会の本物の下仁田ねぎを味わってほしい。毎年12月1日が解禁日です。

―町への定住支援策は。

下仁田での「ほどよく田舎でほどよく便利な暮らし」を後押しするため、町有宅地を無償貸付、無償譲渡している。10年間無償貸付する宅地に家を建て住むことで、その後、土地を無償譲渡するというもの。3区画を用意し、2区画に2家族が住んでいる。また定住しなくても町内の空き家や空き店舗を活用して起業したり、週末だけ下仁田で暮らす2地域間居住などに最大100万円の資金サポートする支援策もある。

―若い人たちの定着支援に新たな奨学金制度を設けたが。

下仁田で生まれ育った子どもたちが将来町に戻ってくることを地域全体で応援する「ねぎとこんにゃく下仁田奨学金」を始めた。高校生・大学生向けの低金利の奨学ローンを用意し、在学中は利息相当額を、卒業後は町に定住すれば元金と利息相当額を町が補助する仕組み。ローン返済の負担を町が肩代わりすることで、地元へのUターン、定着につなげたい。

老舗飲食店で修業中の 地域おこし協力隊員 沼田 香輝さん(25)

まちの人の助けで 充実の日々

もともと東京都内でギョーザをテーマにした店舗の運営を任されていた。そんなとき、「食の伝承」を任務とする地域おこし協力隊員の募集を見て、新たな挑戦を志して応募。周囲からは「なんで?」と言われた。昨年2月から、タンメンとギョーザを看板メニューとする下仁田町の老舗食堂「一番」で働いている。地元で半世紀にもわたって愛されてきた味を受け継ぐべく修業中だ。

当初は「本当に続けられるだろうか」と不安でいっぱいだった。だが、住民の方々から「何でも言ってね」と温かい声をたくさんかけてもらううちに、移住の不安は解消した。新聞に紹介してもらったこともあり、店は以前にも増して繁盛している。

仕事だけではない。地域の方々から消防団やお祭り、イベントなどの運営に誘っていただき、あっという間につながりが広がった。店を経営する30代の先輩方とのコミュニケーションも、私にとって有意義なひとときだ。

下仁田に移住してから結婚し、8月には町内で保育士として働く妻との間に長男が誕生。みなさんが「おめでとう」と祝福してくれた。3年の任期まで、まだ1年以上あるが、定住を決意した。まちの人たちとともに、楽しい暮らしを送っていきたい。